namiguro’s diary

健康とお金を大切に

節約生活「なぜ貯金が必要なのか」

 「先輩は、なんで貯金してるんすか?」
 自衛隊に入隊してから7年目の頃、後輩隊員からそう問われたことがあった。正直、このときにはまだ明確な答えがあったわけではなかった。私はとりあえず「何かあったときにお金がないと困るから」という当たり障りのない答え方をした。ただ、これは今考えても全く間違っていない。この頃、大きな出費を防ぐために近くの漫画喫茶で時間を潰すことも多かった。その時にたまたま読んだ『闇金ウシジマくん』には、心を打たれる台詞が山のように書かれていた。その中で、特に世の中の核心をついていると感じたのが「金が全てじゃねぇが、全てに金が必要だ」という台詞だった。それから、シンガーソングライターであるスガシカオ氏の「やりたいことが見つからないという人には、とりあえず金を貯めろと言っている。何か見つかったときに金がないと行動も起こせないから」という台詞だ。

 お金は使わないと意味がないが、将来の出費に対する備えとして、貯金はなくてはならないのだと感じた。

 貯金をしてきた私なりに考える貯金の目的について、簡単に説明する。
 貯金の目的の1つ目は、急な出費に対応できることである。
 急に里帰りをすることになり交通費が必要だったり、家電が壊れて買い直す必要があったり、車を修理しなければならなかったり、冠婚葬祭でご祝儀やご香典を渡す機会もあるだろう。特にある年代になると、周りの友人の結婚が続き、短期間に何度も結婚式に出席するような時期も訪れる。時には病気やケガで大きな医療費がかかることがある。生活の中で突発的な出費が発生することは意外と多い。
 このような場合に貯金をしていないと、生活費を切り崩すことになり、家計が圧迫されてしまう。月末にお金が足りなくなり、キャッシングなどの借金に手を出してしまえば、その返済でさらに家計が傾く危険性もある。

 また、充分な貯金ができていれば、医療保険は必要最低限の保障だけ確保しておけばよく、保険料が格安に抑えられる。そもそも、私の意見としては、本当に必要な保険というものは限られている。当然、家庭環境や身体的な理由等で一概に言えるものではないが、生命保険、医療保険については不要だと感じている。保険会社の方に怒られてしまうかもしれないが、国民皆保険である日本の社会保険制度を見ると、ほとんどの場合は国が救済してくれるようになっている。治療費は3割負担であり、例え高額な手術を行ったとしても、高額医療制度により、多くの人は月額最高でも8万円程度の負担となり、毎月数千円、数万円の保険料を支払うよりも、医療費を自己負担した方がお得になる。もし、本当に保険に入った方がお得だとすれば、保険会社はとっくに倒産してしまっている。
 貯金の目的の2つ目は、将来的にかかる大きな出費に備えられることである。
 教育資金、住宅資金、老後資金は、人生でかかるお金の中でも大きな金額となることから、「人生の三大資金」と呼ばれている。金額が大きいということは、一般的には長い時間をかけてコツコツと準備する必要がある。この三大資金の考え方については、詳しい内容を後日投稿することにする。
 そして、貯金の最大の目的は、心のゆとりが生まれ人生の質が向上する、ということである。
 貯金をしていないと、「もし何か起きたらどうしよう」という漠然とした不安の中で生活することになる。ごく普通の一般家庭であれば、突然のリストラで収入が途絶える、災害に遭い生活の見通しが立たなくなるなど、金銭的なリスクに対する不安を潜在的に抱えて暮らしている。
 そうした中で、それらのリスクに対応するだけの貯金がないとすれば、不安はますます増大していく。心にゆとりがなくなり、一見お金と関係のない場面でもイライラしたり、上手くいかないのではと考えがちになったり、心が荒んで人生の質が下がる危険もある。
 反対に、貯金があれば「いざとなっても、当面の生活は何とかなる」という精神的な余裕が生まれる。その結果、生活に張り合いができ、やりたかったことにも挑戦できる幸せな人生につながる。

 私は自衛隊に入隊したばかりの頃、お金がなくても人生楽しむことは出来るのではないか、と母親に疑問を投げかけたことがあった。母親は理解を示しながらも「お金を持ってて使わないことと、お金がなくて使えないとこは精神的に全く違ってくる。お金がないと本当に不安で苦しくて追い込まれ続ける」と語ってくれた。お金において誰よりも苦労してきた母親だからこそ言える言葉だと感じた。

 もちろん、貯金より大切なこともある。
 貯金のメリットを語り、モチベーションを爆上げしてしまった後で申し訳ないが、思い切ってお金を使うことを優先したほうが有効な場合もある。例えば、自己投資してスキルを身に着けたり経験を積んだりすることで、将来的に貯金する以上の付加価値を手に入れることもできる。
 貯金をするもしないも、結局のところはその人の価値観や生き方によって決まるため、これが正解、というものはない。
 ただ、人が生きる最終目的は『幸せになること』に尽きる。
 ダウンタウン松本人志が主役を演じたドラマ『伝説の教師』で、こんなシーンがある。
 ある女子生徒が不治の病に侵され、余命宣告をされているという設定の中で、この女子生徒は「私は死んでただ灰になるだけ。そのあと空に消えるだけ。生きた意味なんてない」と言い放つ。
 そこで、松本人志が演じる南波先生は「この世の中、俺は死んでしまうかもしれんて頭抱えてる動物なんておらん。生き物は死ぬために産まれてくるんや。死ぬとか生きるとか、そんなこと考えてること自体おかしいんや」とたたみかける。
 それを聞いたSMAP中居正広の演じる風間先生が「それじゃ、人間はなんのために生きてるんですか」と問い詰める。
 すると南波は「笑うためや、人間に唯一与えられた特権は、笑うことや。笑いながら生きるということが、人間としての証や」

 そう言い放ち、近く開催される文化祭で南波風間のコンビ漫才をやるから「絶対に顔出せよ。どんなことがあっても、俺がお前を笑わせたる。笑いながら死ぬか、笑わずに死ぬか、お前が決めたれ」と女子生徒に伝える。 

 女子生徒は文化祭に顔を出し、漫才を見て楽しそうに笑う。その数週間後、女子生徒は亡くなる。

 子供ながらに目に焼き付いたシーンである。ただ、笑って過ごせる人生を手に入れるためにも、やはりお金が必要になるのが現実の世界である。

 私は中学生の頃、『人生の価値』とは何か、ということについて真剣に考えた時期があった。ちょっと変わった中学生だったと思うが、その時の答えが『生きる術』と『生きがい』だった。『生きる術』とは、確かな知識や経験から身に着けた『技術』であり、『生きがい』とは幸福感や希望を生み出すための『思い出』だと結論づけていた。思い出すとこっぱずかしいもんであるが、『思い出』こそ人生においてもっとも重要であると感じている。どんなにお金があっても、どんなに生きる術をもっていても、『思い出』のない人生ほど空虚でつまらないものはないだろう。お金はあくまでも道具に過ぎない。そのお金を使って、友達と遊びに行ったり、ご馳走したり、大切な人にプレゼントをあげたりお世話になった人に恩返しをすることができる。お金は、お金よりも大切な物を手に入れるために使ったときこそ、真の価値を手に入れることが出来るのだと私は考えている。