節約生活「最初が肝心」
自衛隊へ入隊すると、まず始めに「教育隊」という部隊へ赴任する。
全国のうち、東日本側の出身者は埼玉県の、西日本側の出身者は山口県の基地へと分かれることになり、およそ3ヶ月間、自衛官としての基礎教育を叩き込まれることとなる。自由を大きく制限され、精神的にも肉体的にも追い込まれる生活が続き、基地の外に出られる時間はほとんどない。
今思い返せば、それほど難しいことをやっていたわけではない。だがその当時は体力もなく、慣れない生活のなかで、本当に地獄のような苦しみだと感じていた。この生活があと1ヶ月長ければ、発狂して辞めてしまっていたかもしれない。
ここの教育では、およそ10人で1つの班を作り、3つの班で1つの区隊というグループが編成される。この区隊というグループが集まって1つの中隊が編成され、中隊が集まって1つの教育大隊が編成されている。訓練によって、班として行うもの、区隊として行うもの、中隊として行うものなどがある。基本の訓練は班単位で行って覚えていき、区隊、中隊という大きな組織の中で行動することを覚えていく。自衛隊は組織として1つの目的のために行動しなければならないため、この教育によって自分1人の行動が組織全体に影響することを徐々に自覚していくことになる。
・防衛知識や精神教育などの座学
・敬礼や行進などの基本動作
・射撃訓練
・体育訓練
大方の人が想像するような、ザ・自衛官の基礎を3ヶ月程で学んでいく。人生で最も過酷で充実した時間だったかもしれない。
教育が始まる前に戻るが、各班ごとに担当の班長がつき、まずは班員同士の自己紹介から始まる。そして班長に今後の目標や金銭管理状況、酒タバコなどの嗜好状況、配偶者や恋人の有無などについて聞かれる。これは身上把握といって、組織行動を遂行する上で把握しておくことが重要な情報となる。
ここで毎月の積立貯金の希望額を聞かれた私は、10万円と答えた。
かなりの金額であるが、これも自衛隊という組織においては十分可能な金額なのだ。
「自衛隊は稼げる」とよく言われるが、給与は一般的はサラリーマンと差程変わらない。私の場合、入隊時の手取りは14万円であり、決して高給取りとは言えない金額だ。
しかしながら、集団での寮生活となり、隊員用の衣服を支給され、食事が提供される。私がこの時お金を使ったのは、ハンガー、洗剤、風呂用具のみだった。
つまり、衣食住の大部分が無料で生活できてしまい、手取りのほとんどが、そのまま自分のお小遣いとなるのだ。
更に、年間で基本給の約4ヶ月分のボーナスが支給される。
これが、稼げると言われる所以である。
しかし繰り返しになるが、自由を大きく制限され、精神的にも肉体的にも追い込まれる生活が続く。ストレスの捌け口も少なく、仲間同士の罵り合いも多かった。決して楽な訓練ではない。ただ外の世界に出られただけでも至福の時間であり、夏休みは天国だった。この試練を乗り越えられた者だけが、自衛官というプレミアムチケットを手に入れることができる。
こうして晴れて自衛官となった後、金銭面において大きく二手に別れることになる。
・手取りがそのまま自分のお小遣いとなるため、高級品や車を購入したり、豪遊することを覚えていき、散財していくグループ
・今までの生活水準を維持し、堅実に貯蓄を増やしていくグループ
自衛官を目指す人たちは、元々経済的にあまり恵まれない環境で育った人が少なくない。今までやりたくても出来なかったこと、欲しくても買えなかったものが積もり積もっている状況で、突然、多額のお小遣いを目にする。すると、我慢していたものを一気に開放しようとする気持ちが高まってしまうという現象が、多々起こりうる。自分で稼いだお金であり、使い方を誰に文句を言われるわけでもない。そして前者のグループに流れていく。
一度でも散財癖がついてしまうと、そこから元の生活水準に戻すのは簡単なことではない。人間の満足は収まることがないため、更に消費意欲が高まっていき、気づけば借金が膨れ上がってしまっていた。そんな話も少なくない。
そういった事態を防ぐために、隊員の金銭管理を徹底させるのも班長の大事な役割となっている。
そこで活用されるのが、「防衛省共済組合」である。
大手メガバンクに比べ、利率が桁違いに高く設定されているのが特徴となっている。
普通貯金0.49%
定期積立貯金0.99%
定期貯金1.23%
昔は3%を超えていたが、利率が下がった今でも準資産運用口座として充分に機能している。
ここで隊員の給料を、先取り貯金として定額積立貯金に回してしまう。
こうすることによって、後者のグループに入ることが出来るのだ。
しかし、ここで私は最初のミスを犯してしまう。
私の積立金額に対し、班長から猛反対を受けた。
「そんなに積立できるわけねーだろ!」
そう言われてしまった私は、定額積立の計画をやめてしまったのだ。
教育隊においては班長の言うことが絶対であり、私がそこで逆らうことは出来なかった。
社会人なんだから貯蓄管理できて当然と言われればそれまでだが、天引きによる定額積立貯金の有効性と、1つの口座で家計管理することのリスクを、当時は全く理解できていなかった。
教育隊を卒業し、通信系の職種に任命された私は、埼玉県にある熊谷基地で4ヶ月間、通信業務の教育を受けることになった。東京に近いこともあり、見るものの多くが自分の購買意欲を掻き立てた。
今では考えられないが、この4ヶ月間に50万円を浪費する結果となった。
この時に身に付いてしまった浪費癖が、その後の人生に大きな傷跡を残していくこととなった。
節約生活「自衛隊の始まり」
自衛隊に入隊した1番の目的は、「貯金」だった。
その他にも、
・規則正しい生活が身に付くこと。
・体が鍛えられること。
・てきぱきと行動できるようになること。
・時間の大切さが身に付くこと。
このように厳しい環境に身を置くことによって得られるメリットも数多い。
しかし、国家公務員というその身分が保証されることで、給与、福利厚生、休暇取得など、経済面、精神面において優遇されていることは間違いない。
そして何より特徴的なのは、入隊すると集団生活が始まり、衣食住すべてにおいて「タダ」同然の生活が保証されていることだ。貯金を考える上で、自衛隊という組織はうってつけであると言える。
昭和末期生まれの私が物心つく頃には「不景気」という言葉が世の中に広まっており、バブル崩壊の波が地方に押し寄せ、倒産の連鎖が続く真っ只中であった。
お金をしっかり貯めなければ、という意識が、自然と私の中に、着実に芽生えていたように思う。
更に私が大学を卒業する頃は、ちょうど「リーマンショック」の真っ只中であった。
一向に就職が決まらず、苦労する学生が続出した。私もその1人であり、卒業式前に公務員試験の受験を決意した。
元々、公務員職を何となく考えていた。自分には企業戦士よりも安定職が向いているのは明らかであったものの、就職活動で生き生きと頑張り内定を決めていく人たちを見て、自分もやらなきゃ!と勝手に息巻いて自滅していったのだ。ストレス性の胃炎で倒れたこともあった。
その会社が好きな訳でもなく、これがやりたい、という確固たる意思もないため、結局は面接官に見抜かれていたのだろう。
周りに流されやすい人間はこうも愚かだという、ある意味良い見本を示せたと思う。
かと言って、公務員試験も甘くはなかった。
5人、10人という狭い採用枠を、数百人で奪い合わなければならなかった。筆記試験でどんなに良い点数を取っていても、面接で素晴らしい人柄を見せつけ、一歩抜きん出た存在であることをアピールできなければならない。
根暗でビビりの自分には、到底無理だと悟った。
そんな時、たまたま地元の港に、海上自衛隊のイージス艦が寄港するというニュースを聞きつけ、軍物好きの父親が船員と名刺交換をしていたことがあり、
自衛隊ってどうなの?
おんなじ公務員だし。
という話になった。
私の自衛隊に対するイメージは、体力訓練と勉強を繰返す組織、というものだった。
当時、日本教育の自虐史観に疑問を呈し、航空幕僚長を解任された田母神俊雄氏のYouTube動画をよく観ていた。
この頃から日本の歴史教育問題がネット上に取り上げられ始めており、田母神氏のメディア出演が火付け役のように感じていた。
田母神氏はよく自身の演説の中で、自衛隊に対する多くの誤解を示していた。
私自身、自衛隊は1年中、銃を背負って山の中で匍匐前進しているようなイメージがあった。
そんな泥臭いイメージを払拭し、強く規律正しく、そして優しさ溢れる自衛官像を定着させてくれたのが田母神氏であった。
国家防衛という正義感溢れる仕事への興味と、このまま就職できない事への焦りもあり、二つ返事で受験を決めた。
父親の連絡によって、すぐに自衛隊広報係の方が駆けつけてくれた。現役の航空自衛官の方であり、とても親身になって話を聞いてくれた。
始めに陸海空の3つから受験を選択することになっており、体力的な自信がないこと、長期間の航海には不安があることなどを踏まえ、航空自衛隊の受験を希望した。
受験方式は3つあり、一般幹部候補生試験、一般曹候補生試験、自衛官候補生試験となっている。民間会社で言えば、管理職試験、正社員試験、契約社員試験、といったところか。
大卒者に対しては、一般幹部候補生試験と一般曹候補生試験の併用がすすめられる。自衛官は身分上、特別国家公務員という資格を得るが、試験レベルで言えば、幹部候補生が国家公務員一般職(大卒)、曹候補生が国家公務員一般職(高卒)とほぼ同じである。
航空自衛隊は採用枠が少なく、陸海空の中で最も難易度が高い。
だが勉強は苦手ではなかったこともあり、興味のある仕事であるため面接にも自信があった。
筆記試験の結果は、
幹部候補生試験は不合格
曹候補生は合格合格
曹候補生はほとんど満点を取れていたこともあり、面接にも自信をもって臨めたことが幸いした。
入隊後に聞いた話ではあるが、自分のような就職難民が自衛隊へ多数流れたことと、ちょうどこの年に東日本大震災の発生でメディアへの露出が増えたことが重なり、自衛隊の受験希望者が採用人数の50倍に膨れ上がっていたらしい。これで合格できたことは奇跡だったかもしれない。
こうして、晴れて自衛官としての身分を手に入れた。