namiguro’s diary

健康とお金を大切に

節約生活「自衛隊の始まり」

自衛隊に入隊した1番の目的は、「貯金」だった。

その他にも、

・規則正しい生活が身に付くこと。

・体が鍛えられること。

・てきぱきと行動できるようになること。

・時間の大切さが身に付くこと。

このように厳しい環境に身を置くことによって得られるメリットも数多い。

しかし、国家公務員というその身分が保証されることで、給与、福利厚生、休暇取得など、経済面、精神面において優遇されていることは間違いない。

そして何より特徴的なのは、入隊すると集団生活が始まり、衣食住すべてにおいて「タダ」同然の生活が保証されていることだ。貯金を考える上で、自衛隊という組織はうってつけであると言える。

 

昭和末期生まれの私が物心つく頃には「不景気」という言葉が世の中に広まっており、バブル崩壊の波が地方に押し寄せ、倒産の連鎖が続く真っ只中であった。

お金をしっかり貯めなければ、という意識が、自然と私の中に、着実に芽生えていたように思う。

更に私が大学を卒業する頃は、ちょうど「リーマンショック」の真っ只中であった。

一向に就職が決まらず、苦労する学生が続出した。私もその1人であり、卒業式前に公務員試験の受験を決意した。

元々、公務員職を何となく考えていた。自分には企業戦士よりも安定職が向いているのは明らかであったものの、就職活動で生き生きと頑張り内定を決めていく人たちを見て、自分もやらなきゃ!と勝手に息巻いて自滅していったのだ。ストレス性の胃炎で倒れたこともあった。

その会社が好きな訳でもなく、これがやりたい、という確固たる意思もないため、結局は面接官に見抜かれていたのだろう。

周りに流されやすい人間はこうも愚かだという、ある意味良い見本を示せたと思う。

かと言って、公務員試験も甘くはなかった。

5人、10人という狭い採用枠を、数百人で奪い合わなければならなかった。筆記試験でどんなに良い点数を取っていても、面接で素晴らしい人柄を見せつけ、一歩抜きん出た存在であることをアピールできなければならない。

根暗でビビりの自分には、到底無理だと悟った。

そんな時、たまたま地元の港に、海上自衛隊イージス艦が寄港するというニュースを聞きつけ、軍物好きの父親が船員と名刺交換をしていたことがあり、

自衛隊ってどうなの?

おんなじ公務員だし。

という話になった。

私の自衛隊に対するイメージは、体力訓練と勉強を繰返す組織、というものだった。

当時、日本教育の自虐史観に疑問を呈し、航空幕僚長を解任された田母神俊雄氏のYouTube動画をよく観ていた。

この頃から日本の歴史教育問題がネット上に取り上げられ始めており、田母神氏のメディア出演が火付け役のように感じていた。

田母神氏はよく自身の演説の中で、自衛隊に対する多くの誤解を示していた。

私自身、自衛隊は1年中、銃を背負って山の中で匍匐前進しているようなイメージがあった。

そんな泥臭いイメージを払拭し、強く規律正しく、そして優しさ溢れる自衛官像を定着させてくれたのが田母神氏であった。

国家防衛という正義感溢れる仕事への興味と、このまま就職できない事への焦りもあり、二つ返事で受験を決めた。

父親の連絡によって、すぐに自衛隊広報係の方が駆けつけてくれた。現役の航空自衛官の方であり、とても親身になって話を聞いてくれた。

始めに陸海空の3つから受験を選択することになっており、体力的な自信がないこと、長期間の航海には不安があることなどを踏まえ、航空自衛隊の受験を希望した。

受験方式は3つあり、一般幹部候補生試験、一般曹候補生試験、自衛官候補生試験となっている。民間会社で言えば、管理職試験、正社員試験、契約社員試験、といったところか。

大卒者に対しては、一般幹部候補生試験と一般曹候補生試験の併用がすすめられる。自衛官は身分上、特別国家公務員という資格を得るが、試験レベルで言えば、幹部候補生が国家公務員一般職(大卒)、曹候補生が国家公務員一般職(高卒)とほぼ同じである。

航空自衛隊は採用枠が少なく、陸海空の中で最も難易度が高い。

だが勉強は苦手ではなかったこともあり、興味のある仕事であるため面接にも自信があった。

筆記試験の結果は、

幹部候補生試験は不合格

曹候補生は合格合格

曹候補生はほとんど満点を取れていたこともあり、面接にも自信をもって臨めたことが幸いした。

入隊後に聞いた話ではあるが、自分のような就職難民が自衛隊へ多数流れたことと、ちょうどこの年に東日本大震災の発生でメディアへの露出が増えたことが重なり、自衛隊の受験希望者が採用人数の50倍に膨れ上がっていたらしい。これで合格できたことは奇跡だったかもしれない。

こうして、晴れて自衛官としての身分を手に入れた。