namiguro’s diary

健康とお金を大切に

節約生活「朱に交われば」

楽しい研修生活を終え、飛行機で沖縄へゆく。

中学時代の修学旅行以来だった。ジメジメとした暑さと、ヤシの木のような街路樹が目に入る。待機してくれていた職場の先輩に迎えられ、他愛もない話をしながら基地に向かった。緊張のせいか、ここから先はあまり覚えていない。

今の時代では少なくなってきているが、新隊員を迎える度に宴会が始まることが多かった。この日も夜になると、基地内の飲酒場所で私を交えた宴会が始まった。

大卒で入隊したので成人を迎えていたものの、お酒が全く飲めない体質のため、こういった時間は今でもあまり好きにはなれずにいる。

本格的に仕事が始まり、不安と緊張のなか、遊びに誘ってくれる先輩達も多かった。その中で、一際私と仲良くしてくれる先輩がいた。私とは違う部署の先輩であるが、この先輩が無類の女好きであった。

毎週のように私をキャバクラへ連れ回し、お店の女性ともかなり親密になっていた。中には体の関係を持った人もいるらしかった。先輩は同じ自衛官の婚約者がおり、近々結婚する予定であったが、金遣いが荒いらしく、通帳やカード類は婚約者側で管理されていた。だがどこから工面しているのか、3ヶ月の間に20万円以上を遊びに費やしていた。キャバクラに行く際は決まって「後輩と晩飯に行ってることにしてるから、黙っててね」と釘を差されていた。先輩は、いかに女遊びを楽しむかによって日々の鋭気を養っているようだった。もちろん楽しいこともあったし、誘ってもらったことに感謝もしているが、複雑な感情が少しずつ募っていった。もちろん誰にも言わずにいた。

しかし、初めは半ば強制的に連れていかれていたキャバクラに対して、ある種の好意を感じるようになっていた。私は元々、いわゆる夜のお店に行った経験がなかった。ある種の嫌悪感というか、まるで足を踏み入れてはいけない場所のように感じていた。だが、その巧みな話術によって、まるで晩飯を食べに行くような感覚でキャバクラに通うようになり、更に仕事のストレス発散や、嫌な現実から逃れたいときの骨休めの場所として、足繁く通うようになっていった。

そしていつの間にか、女好きの先輩よりも私の方がどっぷりとキャバクラ通いにハマっていった。

そんな生活が1年ほど続き、教育隊の期間中と合わせて当時50万円程あった通帳の残高が、毎月の給料が振り込まれながらも一時0になった。さすがに危機感を持ったものの、まるで自分の居場所のような感覚に陥り、完全に絶ちきることができずにいた。そんな感じでキャバクラに使った金額の合計は、300万円を超えていた。