namiguro’s diary

健康とお金を大切に

節約生活「浪費時代の始まり」

熊谷基地は通信職種の研修学校であり、第4術科学校と呼ばれる。

そして術科学校(以下、術校)の期間中は、自衛隊人生で最後の天国でだとよく言われる。

教育隊での厳しい生活とは一変して、熊谷基地では比較的自由な生活を送ることができる。

勉強することがメインであるが、教官側も、短い術校生活を楽しんでほしいと考えている方が多いと感じる。それ故、基本的にテスト範囲を教えてもらえるし、勉強が苦に感じたことはほとんどない。教育隊のように厳しい訓練を行うこともない。授業が終わると外出することもできるし、基地クラブという基地内の居酒屋でお酒を飲んだりと、教育隊での厳しい生活からは考えられないほどの自由を手に入れられる。更に信じられなかったのが、外泊までも許可されていることだ。

ただ、この自由が原因で、泥酔した後に民間の方を巻き込んだ暴行事案を起こしたり、帰隊遅延(門限を過ぎても基地に帰ってこないこと)を起こしたりと、毎度2、3人くらいは問題を起こす隊員が出てくる。自衛隊は基本的に連帯責任を問われるため、○区隊は外泊禁止、○班は外出禁止、などの制裁が下される。こんな具合で、外出は出来ても外泊はだいたい制限されることが多いので、外泊ありきの大掛かりな計画は立てないことをおすすめする。自衛隊とは言えど、まだ10代、20代前半の若い人間達の集まりなので、仕方のないことなのかもしれない。

私も術校時代は色々な場所に出掛けた。

平日にしっかり勉強をやり抜いて、土日は気分転換に小旅行、というスタイルが定着した。当然車などないので、電車やバスを駆使して東京都内を散策したり、埼玉の秩父地方、神奈川の湘南江の島など、行ける範囲内を全力で制覇するつもりで行動していた。そして観光名所で写真を撮り、古い神社で御朱印を頂き、現地の旨いものを見つけては食べ歩き、4ヶ月間を全力で楽しみ抜いた。

この期間中に使った交通費、外食費の合計は、50万を超えていた。

楽しい術校生活も終わりに近づき、遂に実部隊としての勤務地を言い渡される日が来る。

初めに勤務希望地を書いて提出しなければならず、私はとりあえず西日本側の離島を希望していた。寒い場所と、人が多い場所が苦手だったからだ。しかし、なかなか希望通りにはいかない。人員に空きのある勤務地に限られるし、人気のある場所なら尚更可能性が低くなる。人員の偏りを防ぐためか、事前情報はない。

そして私が任命されたのは、遥か遠い沖縄の地であった。

4ヶ月かけて見事に浪費癖が染み付いたまま、日本有数の観光地へと赴任することとなった。